20世紀に世界中のあらゆる国で発達し隆盛を極めたコミック。
日本はもちろんその中でも指折りのコミック大国として発展を遂げてきましたが、一方で意外なことに、海外の優れたコミックを目にする機会が少なかったといえましょう。とりわけフランスを中心に、1960年代以降"第9の芸術"と呼ばれるまでに多様で高度に発達した、バンド・デシネ(Bande
Dessinee、省略してB.D.=ベ・デ)という固有のジャンルについては、翻訳という壁のためもあり、これまでごくごく一部の作品しか紹介されていません。
この展覧会は、その知られざるコミック文化の先進国フランスやベルギーなどで活躍する、現代のBDを代表する十数人の作家を、原画やアルバム(ほとんどがオールカラー、ハードカバー上製本の単行本)などの展示によって、彼らの創り出す驚嘆すべきイマジネーションの世界と、卓越したエスプリ溢れる社会観・人生観を心ゆくまで堪能していただこうとするものです。同時に1960年代以降、単なる大衆娯楽的出版文化というだけでなく、社会的影響力の強い映像文化の一翼を担うまでに成長を遂げたBDの発展と、さらには映画やグラフィックデザインにも越境するBD作家たちの活動を、さまざまな歴史的資料によって振り返ります。
展示では、作品の美術的側面だけでなく、できるだけ物語的側面を示すために、部分的翻訳や内容の紹介に努め、また同様にアルバムも多数手にとって読め、理解できるようになっています。そして、カタログでは読書案内や入手の仕方などBD世界への入門にも役立つような様々な工夫を凝らしていますので、これを機会に、日本のコミックとは一味も二味も違ったフランスコミックの魅力の一端に触れていただければ幸いです。

ステイクン(絵)、ペータース(シナリオ) クリストフ・ブラン「ドンジョン 黎明編」より
謎の都市シリーズより「傾いた子供」
【開催要項】
展覧会名 フランスコミック・アート展
会 期 2003年7月5日(土)~8月31日(日)
会 場 川崎市市民ミュージアム
〒211-0052 川崎市中原区等々力1-2
℡044-754-4500
(JR南武線、東急東横線・目黒線「武蔵小杉」駅下車 JR北口からバス約10分)
開館時間 午前9時30分~午後5時(入館は4時30分まで)
休館日 毎週月曜日(7月21日は開館) 7月22日(火)
観覧料 一般900円、学生500円、中学生以下、65歳以上は無料
主 催 川崎市市民ミュージアム
後 援 フランス大使館
協 力 日仏学院、日本マンガ学会
助 成 芸術文化振興基金、国際交流基金
企画協力 I.D.F.
Inc.
【関連イベント】
●シンポジウム「今B・Dは何を描いているか?」
8月3日(日)午後2時~、映像ホールにて、料金無料
ゲスト(予定):ベルベリアン(作家)、小野耕世(マンガ評論家)
●学芸員によるスライドレクチャー 3Fミニホールにて、料金無料、内容はABCの3種類
A:7/12(土)、7/20(日) B:7/27(日)、8/9(土)
C:8/24(日)、8/30(土) 午後2時~
〔主な出展作家と見どころ〕
★ SF、ファンタジーの世界
日本の作家にも大きな影響を与えているメビウス(Moebius)やビラル(Bilal)などの他に、壮大な世界観・宇宙観に基づいた大作を描き続ける、メジエールやスクイテン(Schuiten)などの知られざる巨匠たち。
特に、ジャン=クロード・メジエール(Jean-Claude
Mezieres、1938- )の描き続ける「ヴァレリアン
Valerian」シリーズは、歴史と宇宙を縦横に行き交う時空捜査官の若きヒーロー・ヒロインの活躍を描きながら、科学文明(特に核エネルギー)の生み出す様々な矛盾や、異文化間の軋轢を真摯に問うたSFコミックの傑作として名高く、シナリオライターと二人三脚で練られたその精緻で斬新な宇宙像の設定は、世界中の多くのSF映画やアニメーションにインスピレーションを与えています。この宇宙の生命と文明の織りなす壮大かつ華麗な叙事詩を、原画(白黒)および宇宙生物の設定イラスト(カラー)などによって、日本で初めて本格的に紹介します。
その他にも、自身が建築家でもあるスクイテンが、西洋都市文明の設立過程をパラレルワールド「シテ・オプスキュールLes
Cites obscures (謎の都市)」の発達史になぞらえて示す一大絵巻的シリーズ、そして、東ヨーロッパ崩壊を予見するとともに、人類も神も退廃して行くデカダンな近未来世界を描き、映画監督としても「バンカー・パレス・ホテル」、「ティコ・ムーン」で名高いビラルの作品群(一部は邦訳されている)や、日本でもグラフィックアーチストの間に影響力の大きいメビウスのイラストを紹介します。
加えて、1960年代後半からの大人向けBD隆盛のきっかけとなった「バーバレラ
Barbarella」(フォレスト
Forest作、ジェーン・フォンダ主演の映画になって有名)や、メビウスなどの斬新なSFを世に出した雑誌『メタル・ユルラン
Metal Hurlant』などの歴史的資料でこのジャンルの発展をたどります。
★
色彩感、躍動感溢れるグラフィックアートの世界
このコーナーは、やはり60年代後半の歴史的なポップアートBD「ジョデル
Jodelle」(絵:ギィ・ペラート
GuyPeellaert)などの歴史的資料から始めることで、その後、グラフィックアート界にも大きく活動の場を広げていったBDの流れを追います。この流れは上記のメビウスや『メタル・ユルラン』(アメリカでは『へヴィ・メタル』の名で出た)のグラフィックの影響などと相俟って、80年代以降、世界的規模のコミックのデザイン的な洗練化を呼び起こしました。大友克洋などの"ニューウェーブ"と呼ばれた日本の80年代のコミックシーンもこれと無縁ではありません。
そして、現代活躍する代表的な作家の中から、イタリア出身でグラフィックデザイナーとしても名高いマットッティ(Mattotti)の、躍動感溢れる色彩と流麗なモノクロの線描による対極的な二つのBD世界を、またルスタル(Loustal)の水彩による、南仏のエレガンスな香りやサハラ砂漠の不毛な空気を色濃く漂わせた退廃的世界を紹介します。
また特に、デュピュイ&ベルベリアン(Dupuy
& Berberian)という、洒脱な描写力に富んだ稀代のコンビによる、独身生活を謳歌する30台男の悲喜こもごもを描いた「ムッシュウ・ジャン」シリーズなどの、ポップな感覚の中にもペーソスが溢れたパリジャンの生活模様にご注目ください。彼らのフレッシュなイラストレーションは、近年日本の広告にも進出し始め、あちらこちらで目にすることも多くなっています。
★
生活描写、そして戦争や民族、精神世界の問題に光を当て始めた作家たち
90年代以降のBDの新しい流れとして、世界的なオルタナティブ・コミック(アメリカのアンダーグラウンド・コミックや日本の『ガロ』など)の潮流とも呼応し登場した、より表現主義的傾向、文学・芸術志向の強い非商業主義的コミックの担い手たちを紹介します。彼らは、人間の心の中を見つめ、個人の日常生活における何気ない経験にも、読者が共感し考えていくべきことがあるということを、コミックという手法で追求し始めたといえます。そんな新しい時代の表現者たちが数多くいます。ダヴィッド・B(David
B.)、トロンダイム(Trondheim)、スファー(Sfar)、ド・クレシー(De
Crecy)、ブラン(Blain)、ギベール(Guibert)など。また、彼らのユニークなコラボレーションの仕事をも紹介します。
90年代はじめに作家たち自身が中心となって起こしたラソシアション
L'Associationという出版社で、続々と既成のBDイメージを打ち破る出版活動が展開されました。ダヴィッド・B(ベー)はそのリーダー的存在ですが、彼自身は、自らの家族が遍歴した20世紀の激動と、兄の病気という私的な体験をクロスオーバーさせながら、いかに人間の心の闇の表現に彼が没頭していくかを、BDとしては決して主流ではない白黒の技法を駆使して「ラサンション・ドゥ・オウ・マル(痛苦の高まり)」という作品にまとめました。彼はまた西洋だけでなく東洋的な幻想の世界をも舞台にした"黒いファンタジー"ともいうべき作品を多数描いています。
また、トロンダイムもラソシアション社の中心メンバーですが、彼は90年代最も精力的に活躍しているBD作家の一人でもあります。彼は、単純な絵柄による繰り返しを多用したミニマルな手法を交えることによって、何事もなさそうな日常が知らず知らずのうちに歪んでゆくような、ユーモアと恐怖が同居したような語り口が特徴的です。人物をウサギやネコなどの動物にたとえた手法で現代フランス人気質を諧謔的に描いた「ラピノー」シリーズが代表作ですが、さらに仲間の作家たちと様々な組み合わせでコラボレーションを楽しみながら、多岐にわたるBDの可能性を追求しています。
スファーはもともとヴァンパイアやゴーレムといった西洋の妖怪を題材にして、一見ヘタウマ的な絵のユニークなホラーファンタジーを得意としていましたが(他にも自らの出自のユダヤの歴史に関する作品や、画家パスキンの生涯を描いた作品などがある)、現在トロンダイム(シナリオ担当)と組んで、「ドンジョン
Donjon」シリーズという、300冊にもわたるという壮大な計画の渦中にいます。ヨーロッパ中世を思わせる巨大な城で、英雄(といってもアヒルなど様々な鳥の擬人化した姿)やドラゴンがモンスターたちの襲撃を退けるという、本家本元によるRPGさながらの絵巻でありながら、同時にユーモアと痛烈な皮肉も込められているという不思議な世界を描き出しています。あまりに壮大な計画ゆえか(?)、彼ら二人に加え、ブランを始めとした新進気鋭のBD作家たちが次々とこのプロジェクトに巻き込まれ、1巻1巻が違った絵による(キャラクターは共通)「Donjon」が展開されるという非常に奇想天外なシリーズでもあります。このプロジェクトは商業的なBDの成功も睨みつつ、一人一人が我の強いアーチストとして本領を発揮するという、新しいBDの方向性を示す画期的なものでもあるようです。この創意と魅力に溢れる最新のBD世界を紹介します。
また、ド・クレシー、ブラン、ギベールといったそれぞれ独特のスタイルのグラフィックを追求した作家たちも紹介します。アザラシが都会にやってきて波乱万丈を経験するド・クレシー「ビバンダム・セレスト」の妙ちくりんな世界や、自身の船乗り体験から優れた海洋描写を誇るブランの「海賊イザーク」の世界。そして何より、年の離れた友人から聞いた戦争体験を、地道な作業ながらも見事な質感で再現することに成功したギベール「アランの戦争」は、ヨーロッパにおける戦争体験を伝える作業の一端を示していて、私たちにとっても注目すべきBDの仕事の一つだといえましょう。
*作家名やタイトルのフランス語表記に、アクサンなどが抜けています。すみません!
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